日本語は天才である / 柳瀬 尚紀

翻訳家による日本語に関する「講義」集。
タイトルにまず惹かれ、著者がゲーデル、エッシャー、バッハの翻訳者(の内のひとり)と知って俄然興味が沸いて読んでみた。
日本語が天才である、というのは、外国語を取り込み成長してきた日本語の柔軟性としぶとさを賛美した表現。 翻訳家ならではの見方だろうなあ。
漢字の読み方、回文、敬語、方言、音訓などの話題を多様な言葉遊びに乗せて語っている。 話題があちこちに飛んでついていくのが大変だけど、とても面白い。 もっと日本語を大切に=勉強しなきゃ、と思わせてくれる。
GEBを読んだ時に、こんなのを訳す人は、とんでもない天才的ゲージュツ的頭脳の持ち主なんだろうなあ、なんて思った記憶があるけど、万葉集から外国文学まで幅広い教養と努力の結果なんだということを思い知った。 ま、あたりまえか。
日本語は天才である
日本語は天才である (単行本)
柳瀬 尚紀 (著)
単行本: 222ページ
出版社: 新潮社 (2007/2/24)
ISBN-10: 4103039515
ISBN-13: 978-4103039518
発売日: 2007/2/24
まえがき

日本語は、世界の言語の中で孤独
天才だからこそ孤独である言語、孤独であるからこそ天才である言語 ― しかし孤独であるけれども豊なる言語

第一章 お月さんはなぜ怒ったのか?
翻訳における苦労談から日本語の面白さへ導入。

You are a full moon.
されば、かの満月か。
去れ、バカの満月か。

ガイチカ – タクシーの運転手が画一化をこう読んだ。
たまねぎの二つの丸い穴にご注目。
EVIL – LIVEと読む
咎を各人と読む。

われわれは各人、それぞれの人生を生きている。

第二章 天才と漢字の間柄
漢字が輸入されて大和言葉に融合されていった過程を万葉集等を題材に。
田児の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける
田児之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺尓 雪波零家留
見者に見ればという読みを当てた日本語は、天才。
この歌の漢字表記を載せているサイト:
新古今和歌集に撰歌された万葉集
雪は真ん中の棒が突き出ておらず新しい字。
万葉集夜話
万葉仮名の項。
万葉集夜話のインデックスは、
http://www.k3.dion.ne.jp/~kenmoti/sub002.html
第三章 平和なことば・日本語
日本語の苦手分野 – 侮蔑表現、罵倒表現

なんて弱い壁なんだ!

第四章 「お」の変幻自在

「お」と「ご」はなかなか厄介

(音読みする言葉には「ご」)

文化審議会国語分科会は、大野晋「日本語の年輪」という文庫本一冊を全国の国語教師に読ませることの法令化を考えたほうがいい。

第五章 かん字のよこにはひらがなを!
威露破がるた M37 (1904)憎まれ者露に定まる
ルビも文字も日本の勝利 – 捕虜になったロシア兵が活字工をしている
第六章 あずましい根室の私
方言の話題にことよせて、誇り高い著者の信念が書かれている。

ときどき文章がからまったり、むずがゆくなったりもしますが、それでも普段から言葉を寝かせて用意しておいたり、掻き混ぜたりして、もったいない言葉を削ったり捨てたりしながら書いている。 そういうくすぐったい文章を書かないときのほうが、かえって疲れるんです。
とっくに他人の書いていることを盗んだだけの、あつかましくてみっともない文章を書く人もいますね。あの手のものは書きたくない。

第七章 シチ派VSナナ派 真昼の決闘

ぼくも以前は、シチニンキョウダイと言っていました。 いつのまにか、ナナニンキョウダイと言うようになったのは、ナナジュウネン安保の影響かもしれません。

当然のごとく、第七章(=ダイシチショウ?)に持ってきてある。
第八章 四十八文字の奇跡
いろは歌について。

行末に「とかなくてしす」。 つまり「咎なくて死す」というメッセージが浮かび上がります。 第一章でLiveを後ろから見るとEvil ― 「人生→各人→咎」―というメッセージに言及しましたが、あれの数十倍強烈です。

あとがき

島崎藤村に『夜明け前』という大真面目な小説があります。 そういう小説でも、英語ばやりの時勢を揶揄してこんなことを書いている。 つまり、「猫撫で声」が「キャット撫で声」、「待つ夜の長き」が「待つ夜のロング」となるのではないか、と。 日本語が「キャット撫で声」になって欲しくはありません。この本はそういう思いで書きました。